「厚木毛利氏プロジェクト」 サイトへ
ようこそ!
ご訪問ありがとうございます。ごゆっくりご覧ください。
厚木毛利氏プロジェクトについて
厚木市が戦国大名毛利氏の発祥の地であることを広めること。
毛利氏ゆかりの地との橋渡しをしていくことを目的とします。
将来厚木市内外の認知度が上がるとともにプロジェクトは段階的に活動の範囲を広げていきます。
沿革
2019年
活動はスタートしました。
2020年
山口七夕会にご相談、ご協力をお願い致しました。
厚木毛利氏プロジェクトを立ち上げ。
2021年
Facebookの記述を開始しました。
厚木市山口県人会にご協力をお願い致しました。
チームについて
厚木市内外のメンバーにて構成。
厚木市山口県人会
厚木市内の山口県出身者、および山口県にゆかりのある方の集まり。
山口七夕会
山口七夕会は、山口市をこよなく愛し発展を願う人々の会として、首都圏を中心に山口市出身者の方および山口市にゆかりのある方々が集まって創られました。
Facebook 厚木毛利氏プロジェクトを参照
Facebookを活用して、定期的に毛利氏に関する情報の発信を行います。
同時にここ住みよい街厚木市についてもふれてみたいと思います。
本日は2021年5月3日。コロナ禍の緊急事態宣言中ですが、大切な時間を活用しながら厚木の歴史をひも解いていきます。
かつて1997年、大河ドラマで毛利元就が放映されました。最初の第1幕目は厚木市の映像からスタートしました。
あれから24年。来年の大河ドラマ鎌倉殿の13人で再び大江・毛利氏が登場します。
私たちの試み
取り組み
1997年の大河ドラマをきっかけに取り組まれた毛利氏発祥の地活動。厚木の歴史的財産を再度掘り起こします。
情報発信
大江・毛利氏についての情報を厚木市内外に発信します。
アクション
厚木毛利氏プロジェクトの活動状況をご報告します。
毛利氏ゆかりの地情報
毛利氏ゆかりの地は、山口県のみならず、広島県、新潟県に及びます。それぞれの地域での催しをご紹介します。
将来の夢
夢を現実にする(その2)
2、毛利氏ゆかりの地を縁とする多方面のネットワーク。
将来の夢
夢を現実にする(その3)
3、本厚木駅前に毛利氏発祥の地のモニュメントを建てる。
モニュメントの存在が街のイメージをつくり、ランドマークとなるためです。
将来の夢
夢を現実にする(その1)
1、毛利氏ゆかりの地との歴史、文化交流。
私たちの強み
厚木市内外のメンバーによってプロジェクトを推進します。
歴史的観点から弱い部分は、厚木市外、県を超えて
毛利氏ゆかりの地からのご協力をお願いします。
山口県防府市 毛利博物館(毛利氏庭園)
本邸
軒唐破風付車寄せをもつ、江戸期の御殿造の様式を取り入れた建築で、明治・大正の建築技術の粋を集めた殿堂である。木曽御料林のヒノキ・屋久島の神代スギ・台湾のケヤキ等、無比の良材が使用されている。
邸宅建坪約4000平方メートル、部屋数60、畳数780枚使用されている。
庭園も含めると着工から完成まで20年かかっている。
本館
応接室の奥にある『大広間(客室)』。合わせて42畳の三部屋からなり、天井は一段と高く格天井となっていて、当主は最奥の18畳の間に座して客を迎えもてなした。
大広間の北側には畳敷きの広い廊下があり、縁側の窓には当時のままのガラスがはめ込まれている。
毛利家墓所
毛利氏13代当主敬親と妙子夫人、最後の藩主となる次代14代元徳と安子夫人、さらにその子の元昭と美佐子夫人が眠り、「毛利家歴代諸霊」と
刻まれた墓碑も1基ある。毛利家歴代当主が眠る萩の大照院(初代秀就と2~12代の偶数代)、東光寺(3~11代の奇数代)、旧天樹院(藩祖輝元)とともに国史跡に指定。
露山堂
敬親によって山口屋形に建てられた、倒幕への謀議の場。
山口への藩庁移転の際に、毛利敬親によって「山口屋形」の敷地内に建てられた茶室で、その名は、現山口県庁舎が建てられる以前、同地に存在した一露山という小さな山に由来する。市郎山という元の呼び名を敬親が改名し、茶室はその麓にあった。
洞春寺
洞春寺は常栄寺とともに、毛利氏本拠の吉田郡山城下(現在の広島県安芸高田市)にあった。関ヶ原の戦い後、毛利氏の防長二州への移封にともない、現在地に常栄寺が移り国清寺を合寺、洞春寺は萩へと移った。寺は常栄寺として幕末を迎え、山口への藩庁移転時には武器などの貯蔵庫として藩に借り上げられる。
旧山口藩庁門
幕末において最新の西洋式城郭で固められた山口政事堂の正門。
1864(元治元)年、萩から山口への藩庁移転の際に建てられた「山口政事堂」の正門で県の重要文化財。周囲は、当時としては最新となる西洋式城郭で固められており、その一部を構成したお堀もそのまま残る。
マイストーリー
1つの目的から人をつなげていく活動。